九州のほぼ中央、大分県日田市 そんな日田市の友人や近所の人たち、また、何気ない風景など、楽しい日田をご紹介しようと始めました。 楽しいイベントやみどころなど、ご紹介できればと思っています。
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日田のはじまり(日田起源伝説)
大むかし、九州の真ん中に大きな湖があったとか。 高くそびえたつ山々に四方かこまれ、その山々からの渓流を一つに集めて洋々と水をたたえていた。蓮の葉に似た形の湖面には、四季折々の花や緑、紅葉が美しい影をおとし、その中に三つの小島が浮かんでひっそりと静まっていた。
さて、ある朝、東の空から一羽の大鷹が現れた。湖の上をゆったりと翼を広げて輪を描いていたが、急に舞い下って水面に羽根を浸し、しぶきをかきたてた・・・かと思うと、一声高く鳴いて、雫をきらめかせながら再び舞い上がり、陽光をいっぱいに浴びてたちまち北の方へと飛び去って行った。
すると、黒雲がにわかに天をおおって、百雷の一時に落ちかかり、矢のような雨が注いで、湖水はいっせいに揺れて波うち、泡だった。湖が底から打ち返るかのように渦まき、水はまわりの山肌を噛んだ。すさまじい音とともに見る見る西の一角が破れ、ごうごうごうたる奔流となって溢れ出し、筑後へ走った。
三日三晩荒れに荒れて、やがて明るい光が戻ったとき、そこに湖の姿はなかった。その跡に三つの丘と、これをめぐる一筋二筋の清流が残されていた。
丘は天象になぞられて、東を日隈、西を星隈、北を月隈とよばれた。三つの隈に添った流れは三隈川となった。 ここに開けた土地は、日輪に輝く大鷹にちなんで、日鷹と名づけられ、これが日高、日田となったという。
また、鷹が羽根を浸した-ヒタとも、水が干たので-ヒタともいわれている。
大原八幡宮に「日田開闢」の絵馬が残されている。
日田市報「ふるさとむかし話」より